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1月31日(土)

ウチの近所に、豊島区リサイクルセンターと言うのがあって、ここは粗大ゴミ等で引き取られた不要品の数々を、メンテナンスして破格値で提供しているリサイクルショップみたいな施設である。と言っても、公のセンターなので、販売は月に2回の抽選により公明正大にひっそり行われる。場所柄(大塚)、競争率は大した事は無く、物によっては2〜3倍程度に留まる事も、多々あった。我々は、こういうの好きだし、置いてある品物の状態も好ましいので、度々出向いては、抽選に申し込んだものだ。しかし、今まで1度も当選したタメシはなかった。
なもので、頭には「どうせ申し込んでも当たりゃしない」と言う考えが浸透し、先日何の気なしに足を運んだ際に見かけた、プレーンな飾り棚も、サイズとか色とか、大して確かめもせずに申し込んだのだった…どうせ当たりっこないさ…ところが、これが当たってしまった。嬉しかったが、果たして自分たちが申し込んだものが、どういうものだったのか、少々不安な面持ちでセンターに出向き、1500円の支払い済み領収書と引き換えに、ブツを受け取り、部屋に運び込んでみたのだが、フ、案の定…サイズに難あり…。リビングルームの置きたい場所には、何をどうやっても置けない。じゃあれを移動してこれを置いて、みたいな事をしようとする度、かなりの猫毛ゴミが出てくるので、掃除を余儀なくされ、せっかくの休みだったのに、結局日が暮れてもその作業に没頭する始末。最終的に置き場に困り、捨てるに事も出来ないし八方塞りに。結局、やけになって寝室兼仕事部屋のデスクの隣に、横並びにしたら、ようやく落ち着きを見せた。かなり疲れた…ああ、今度からもっとちゃんと考えてから申し込もう。


He knows winter.

1月30日(金)

最近、猫兄弟や隙間猫家族の話題が少ないとご指摘をいただいたので、今日はまとめてご報告。まずは、隙間猫のみなさま。相変わらず、複数の猫好きに支えられ、餌にはありつけている。時に8階のおばちゃんは、猫の好みをあまり考えないで、妙な猫まんまを与えているので、見ていると笑ってしまう。この前なんて、思いきりただの焼そばだったし、その前はにゅうめんだった。おばちゃん、気持ちは分かるけど、猫はそんなもん好んで食わんぞ。とにかく、訳のわからんサポートを得ながら子猫たちは立派に成長し、今年の冬は大して寒くないまま終わると思われるので、まぁ乗り切れて良かった良かった。最近は父親猫が収納ケースを訪れては、この世の終わりみたいな声でさかっているので、春にはまた子猫たちが産まれるかもしれない。そうなったらウチと同級生だね。
で、猫兄弟の近況だが、話題は何と言っても、ファッちんのイメチェンである。6才半になり、初めて牛乳にハマったファッちんは、毎朝7時くらいになると枕元にやって来て「ミルクまだ?」とせがむまでになった。これ以外にも、物心付いてからは人前で、ネズミのおもちゃとか丸めた紙とかで、ひとり遊びを披露する事なんてなかったのに、最近は無躊躇に遊ぶようになった。いったいファッチンの身に何が起こったのであろうか…動機や根拠が見えにくいのはファッちんらしいけどね。そしてコイは、そういう兄猫を冷めた目でシラーっつと観察している事が多い。このように兄弟仲は決して良好ではないけれど、我が家はとても平和です。

1月29日(木)

今、何をやっているかで、人は人を判断しがちだが、長いスパンで見れば"今"何をしているかはさほど重要ではない。何故かと言うと、人それぞれが旅の途中であり、場合によっては寄り道している"今"だったり、休憩している"今"だったり、取り乱している"今"だったり、迷っている"今"だったりと、多種多様なステートにあるからだ。しかし、実際人というものは今しか見ようとしない。または、過去に関しては実績とか、学歴として評価の物差しとする。でも、大事なのは「どこに向かっているか」だと思う。例えば、今現在どんなに成功しているように見える人たちだって、向かっている先がBloody Hellであれば、少なくとも自分としては評価できない。逆に、現在パッとしなくても、向かっている先が魅力的であれば、それだけでもう素晴らしいと思う。この他にも、数値として評価されにくい、人柄だとか思想だとかも、人を判断する上で重要な要素だ。でもね、実際は将来的にどうだとか、目に見えない部分の人間的にどうだとか、そう言った部分は生きていく上で評価されにくい仕組みとなっているのよこの世の中は。
自分は今、どういう状態なのかを考えると、たぶん、寄り道しているか、もしくはオープンカフェに入って、マンウォッチングをしている段階にあると思われる。決してエネルギーに満ち溢れた暮らし振りをしているわけではなく、どちらかと言うと、SAVEにSAVEを重ねている印象が強い。そういう時期だからいろいろ誤解されやすいのだが、決してやる気がないわけではなく、本人は本人なりにちゃんとそれを意識して、有意義に悶々としています。

1月28日(水)

ゲスト続きの我が家の食卓。先日は、プエルトリ子がやって来て、出産前ラスト晩餐会を開催。メインはカレーとぎょうざ。本当は鍋をしようとしていたが、ハッキリ言ってもう飽きた。いつものように彼女が新宿のデパ地下から美味しい和菓子を買って来れくれて一堂大満足。昨晩はふんわりした食感のいちご大福だった。締めに最近レンタルビデオ屋に出ていたチャン・イーモウ監督の「HERO 英雄」を借り、けっこう呆れながら観たりして、ある意味盛り上がった。マギー・チャンは限り無く浅野温子にしか見えないし、長髪トニー・レオンも何か変だ。さらに、チャン・ツィイーも役所が不明だし、ジェット・リーの十歩必殺剣?はストレート過ぎて意味不明だし、何よりもワイアーアクションはギャグの粋に達し、そしてクリス・ドイルのカメラワークはどこまでもくどかった。
そして本日、これまた久し振りに双子ちゃんがやって来た。何でもお正月に広島に帰省した際、尾道ラーメンチャーシュー付きを買って来てくれていたのだが、なかな会う機会に恵まれず、そろそろ賞味期限が危ないからと、わざわざ持って来てくれたのだ。ありがとう。昨晩の流れでメニューは同じ(でも2日目の方がカレーは美味い)。さらに、生野菜と冷や奴、コージーコーナーのエクレアも追加された。最近双子は引っ越したばかりで、今は家具探しに忙しいらしい。そうでなくても朝から晩まで3DCADワークで忙しい2人だから、今度はいつ会えることやら。早速明晩いただきます、うふふ、それにしても美味そうなラーメンだ。

1月26日(月)

あなたのお気に入りの公園はどこ?と、問われると、残念ながら「東京にはない」と答えざるをえないのが現状だ。何せ東京の公園は落ち着かない。緑が茂っていて居心地良さそうな場所には、ホームレスが住み着いて洗濯しているか、もしくは蚊がいて容赦なく襲ってくる。地面は決まって剥き出しの土や小砂利で、雨なんか降るとベチャベチャが当たり前。桜でも植わってようものなら、春ともなればゴザが敷かれて宴会となり、その後にはゴミが散乱し、夜になればヤンキーが集まりケンカしてたり、ヤキ入れてたりして、憩いとは程遠い世界が展開する。強いてあげれば、駒込の駒込東公園がこじんまりしていて気に入っていたのだが、先日たまたま近くを通りかかった時にのぞいたら、しっかりホームレスが3箇所のベンチを占領してしまっていた。
彼らに罪はない。行く場所がないんだから、公共の場所に行くしかない。これは海外でも当てはまるのだが、鳩と違って、公園のベンチにいたって、生きていく為に必要な食べ物は得られないし、夜露は凌げないから、海外のホームレスはもっとわかりやすく、教会とかシェルターとか図書館に集まる図式となる。また、受け入れ側の自衛策も施されていて、たいがいのベンチは横になって眠れない仕様となっている。最近でこそ、新宿西口地下道等に微妙に傾斜した変なオブジェが設置されているが、自治体ももっとしっかり彼らを遠隔誘導し保護すべきと思う。その上で、公園は公園で、ちゃんと公園として機能させて欲しいと切に思う。そう、排除放置ではなく誘導保護して、ちゃんと住み分けを図って欲しい。もうしばらくするとお子と共に公園デビューも果たさなければならない身だからして、余計にそう思うのだった。

1月25日(日)

遡る事、1992年の深夜。山手通りを中目黒方面から、当時住んでいた参宮橋へ帰る途中、たぶん淡島通りあたりで2台前を走っていたタクシーがノラネコをはねた。我々は運良くそれに気づき、道路に横たわってヒクヒクしている肉塊を車に乗せ、その時間でも開いている救急獣医を探した。そのノラネコを最初見た時、血だらけで口からは泡を吹き、瞳孔も開いたまんまで、間違いなく助からないと思ったが、同乗者がまだバッテリーが分厚い頃のIDOの携帯電話で獣医を探す間、車に残って一生懸命ネコを励ます役目を努めた。「頑張れニャンコ、生きるんだ!」。その後、ノラネコは運び込まれた獣医で奇跡的に一命を取り留め、ン十万円の入院費を支払った後、流れでウチで面倒を見る事になる。生後1年未満の若い雌猫の名前は、ジーコ。サッカーのジーコではなく、もちろん交通事故のジーコだ。
このジーコ、結局右後ろ足は粉砕骨折の為に、動かなくなってしまったが、そんな事はお構いなしに、家中を元気いっぱい走り回るほど回復し、毎晩寝る時はベッドにやって来て、布団に潜り込んで寝るまでなついた。これはたぶん、命の恩人への感謝の印なのだろうと解釈し、蜜月を過ごす。しかし、平和な年月はそう長くは続かなかった。翌年末には、人間特有の悲しい事情で、突然の海外暮らしを始める事となり、ジーコを含め3匹の猫たちと、二度と会う事はなくなった。基本的に猫は家につく生き物。彼等と外で会う事は不可能だった。これまでの人生で、何が心残りだったかと言えば、実はこの辺の歯痒い事情である。きっと自分が死ぬ間際なんかに、離れ離れになってしまった猫たちの事を、思い出したりするんだろうなと、何となく思う。
海を超えてニューヨークで暮らす間も、風の噂で訃報が届き、1匹、また1匹と猫たちは他界し、何とも言えぬ寂しさを噛み締めるのみだった。そして、先日、別れた妻から2枚のポラロイド写真が届いて、あれから11年経った今も、ジーコが健在である事を知った。それだけで、また、胸が熱くなった。

1月24日(土)

学歴詐称の問題で、元テニスプレイヤー議員が揺れているが、アメリカだったら事前に選挙スタッフが徹底的にチェックして、ちゃんと裏を取る、もしくは裏工作してから記入するので、こういう話しにはなり得ない。アメリカだからバレないと思ったのかな…奢ったね、ミスターテニスプレイヤー、根回し足りなすぎ。ただし、今回のような弁護士に云々は、言い訳ではなくてたぶん本当で、その当時永住権を取る為に必死だったとしたらば、今回のような詐称は無意識の内に、起こりうる場合もある。
何せかの地では、レジュメ(履歴書)に書いてある事なんて40%は嘘で当たり前という風潮がある。ちゃんとした所に出す公文書だって、卒業とか、中退とか、出場とか、資格とか、経験とかそういうものは何もかも限りなく怪しいし、また、それらを金で買う事だって出来る。もし、氏がアメリカナイズされているお方ならば、そういう感覚が麻痺していても不思議ではない。誰でも金を払えば受けられるアダルトスクールに行っただけでも、経歴には○○大学と書く事は可能。事情が推測出来るから、ちょっとお気の毒な話ではある。
さて、昨日と今日の我が家はホッケに夢中。たまたまスーパーで安売りしてたから食ってみたのだが、脂が乗って実に美味。大根おろしとすだちでシンプルに豪快に、骨まで食らうが良し。で、ホッケとは魚へんに花と書く、アイナメ科の硬骨魚だそうだ。知らなかったけど、いちおう出世魚で、成長するにしたがって、アオボッケ→ロウソクボッケ→ハルボッケ→マキボッケ→ネボッケ→ドウラクボッケと変わるそうだが、それもこれも馬鹿っぽい。我々がどの段階のホッケを食べたのか定かではないが、出世しきったドウラクボッケって何? 意味不明だけど、味が良いので許す。美味しい魚を食べると、日本人で良かったと心底思うのであった。

1月23日(金)

今日は忙しい1日だった。午前中は豊島区役所に出向き、住民票やら印鑑証明を取得した後、妻を定期検診に連れて行き、その間アカチャンホンポまで車を走らせお買い物。病院に戻って妻をピックアップしてそのまま今度は渋谷区役所まで行って戸籍謄本を取得。一度部屋に戻り、ナップする妊婦を横目に、山手線で駒込までWEBデザイン関連のミーティングに行って、窓外を見れば見事な夕暮れだった。
今後は、この事務所に頻繁に足を運ぶ事になりそうだが、本郷通りと不忍通りの交差点近くにある雑居ビルの6階から南方は低層住宅が立ち並ぶ為に、このように見事なskyscraperの出現となっている。駅からは男歩きで10分と多少遠いが、この景色はかなり価値あり。なかなか素敵な事務所で良かった良かった。今後もよろしくお願いします。

1月22日(木)

ニューヨークのおともだちが女の子をご出産、オメデトー。名前はクレアだって…ほー。ずっとアメリカで暮らすんだったら、最初からそういうグローバリゼーション横文字系の名前の方が断然良い。でも、パッとこの名前を見て、最初に連想したのは他ならず「クレクレタコラ」だった。ごめんね古くて。
さて、星回りというものについて、今日は語りたい。他の人はどうか知らないが、自分の場合、ジョナサン・ケイナーばりではないにしても、今年がどんな年になるのかについて、毎年何となく感覚でわかっていると思う。そしてその感覚は、四柱推命等の東洋系の思想ではなく、12星系占星術の方が当てはまる事が多い。昨年も、その前も、大体思った通りの展開だった。また、運気とかリズムとかエネルギーとかの流れみたいなものは、決して自らの意思で変える事は出来ないと割り切っている。悪い時は、もがけばもがくほど、結果として深みにはまり、良い時は良い時で何をしても、うまくいく。
で、今年はどうなるのかについて、自分で自分を勝手に占うと、今までにない特殊な年になると思われる。家庭も仕事も、大きな変化が訪れる。だけど、本人は静物still lifeだ。つまり、今年は周りは大きく動き発展するが、自分に限っては自発的にはあんまり動けない。補足すると、動きたくても率先的には動けないのだ。つまり、誰かにいじられるのを待つがヨロシ。もし、いじってくれる人がいれば、今年はとてもいい年になる。ここ何年かで蓄積されたパワーを、奥座敷でヒッソリジックリ適切に発揮することができれば、自分も周りも幸福だ。そして、引き続き学び続けることが大事だろう。仕事面も、愛情面も、人間性も切磋琢磨し、次のステップに備えるべく、2004年に起こりうるあらゆる出来事に対処する所存でございます。

1月20日(火)

世の中には多種多様なスタートラインがある。最初から純白に光り輝いている人もいれば、汚れた泥に覆われている人だっている。中にはスタートラインが見つからない人も、1本だけの人も、複数の人もいるだろうし、自分のように道中に数多くのスタート&ゴールラインがある者もいる。ただ、共通して言える事は、ゴールラインは自らの設定により、多種多様に変化しうると言う事で、1回ゴールすれば、もうそれで満足で、後は枯れた様になる人とか、失敗を繰り返しても何度もスタートし直し、ゴールを目指す人も、また、ゴール自体を設定していない人で、いつまでも遠くを目指して走り続ける人だっている。
とにかく、どんな生き方をしている人でも、いつまでもスタート前の準備体操をして、時間と労力を費やしただけで実際にスタートしないまま人生を終えるなんて、まっぴらゴメンなはずだ。例え、自らの目標を達成できなかったとしても、その過程での取り組みそのものに対して満足する事だってできる。思うに、実際にゴールするかどうかは、大して重要な事ではない。また、成果や達成、結果や評価と言う、尺度のハッキリしない代物に縛られるのは馬鹿らしい。そんな価値観、ある日、宇宙人が「こんにちは」とやって来た時点で、全て瞬間的に崩壊する。何はともあれ大切なのは、たぶんスタートする事だ。現実社会でのスタートは、何と言ってもこの世に生まれて来る事から始まる。まだ見ぬわが子だけど、彼/彼女のスタートラインは間違いなくこの1本だった…と、大きくなったら教えてあげたい。

1月19日(月)

夫婦というものは、どこまでもシンクロするらしく、妻のお腹が大きくなるに従い、自分も体重が増加し、妻が動くのが辛くなるに従い、自分も体がダルくなり、また、妻がお腹が痛くなるのにあわせ、自分もお腹が痛くなった。
話は変わるが、この街(大塚)に引越しをしてから、どうもおかしな病にばかり冒される。今また、変な病?にかかっているかもしれないし、そうでないかもしれない。容疑者(虫)は何なのか特定出来ないのだが、1週間ぐらい前にお腹の、ちょうどヘソの右横を何者かに刺された。刺された際、自覚症状は全くなかった。たぶん寝ている間に刺されたらしい。相手はナイフとか持ってなくて助かった。しかし、その後この虫刺されと思われるスポットは、痒みを伴わずどこまでもひたすらジンジン痛み、気がつけば親指2本並べたくらいまで真っ赤に腫れ上がった。最初、化膿止めみたいな塗り薬をグリグリ塗ってみたが、全く効果なく、次に義妹が持っていた抗生物質を勝手に飲んでいるが、一向に腫れは引かず、それどころか刺されたポイントを中心に、痛みを伴ったまま硬化しつつある…松田優作やいかりや長介の言葉を借りるまでも無く、なんだこりゃだめだこりゃだ。これまでいろいろな虫に刺されたがこんなのは初めて。今も、この文章をタイプする机のヘリがちょうどそのスポットに触れ、痛くて痛くてたまらない。明日休みなので、病院に行ってみようと思うが、それにしても何じゃこりゃ! まさかサソリじゃあるまいな。

1月18日(日)

ファッちんの行動は根拠や動機が見えにくいのが特徴だが、先週までの1ヶ月くらい、毎晩このように、枕元に丸まって眠り、朝まで起きない日々が続いていた。今までそんな事はただの一度も無かった。足元にいた事はあったが、自ら布団の、しかも枕元に来るなんて、ああ有り得ない。寒くなったからとか、寂しいからとかいろいろとその理由を推測しては、フフ可愛いヤツよ、なんてほくそえんでいたものだ。でも、枕元に来ていた理由は、少なくとも寒いからではないらしい。だって、ここ何日かはこの冬一番の冷え込みに違いないのに、ファッちんは朝まで寝室に現れない。何やってんのかと思うと、冷え冷えしたリビングのコタツの、しかも端っこに身を寄せるように眠っている。妻が夜中にトイレに行く際に、暗闇ファッちんを目撃してビックリしている。じゃ、この1ヶ月何で枕元に来てたの??? ああ動機が知りたい。
さて、ニューヨークを離れ、早1年以上が経過し、変な話なのだが、変な食べ物がとても懐かしい。今日は、マクドナルドに行くと無料ハンバーガー券を貰えるから、訪れた人も多いだろうが、自分の場合、何だか兎に角ニューヨークのバーキン(バーガーキング)が懐かしい。あのフーパーWhopperの大きさ、大味さ、アメリカンビーフの香ばしさ、容赦ない生玉葱の香り、おおよそ客商売とは思えない接客態度…どれもが懐かしい。当時アメリカではフーパーJr.はいつ行っても1ドルで、小腹がすいた時によく頬張ったもんだが、Jr.は今の日本のマクドのレギュラーサイズのハンバーガーよりも遥かに大きく重くボリュームたっぷりだった。また、スタインウェイのアパートに近くの肉の四つ角で売られていた、ケバブが懐かしい。ただジュージュー焼いた串刺しラムにレモンジュースを振りかけただけのシンプルものだが、豪快で美味かった。日本って、やっぱりそういう食べ物少ないよね。

1月17日(土)

情緒溢れるモンマルトルを舞台に展開するファインムービー「アメリ」が大好きで何度も何度も観たと言う方も多いと思われるが、そういう自分もその中の1人で、ジャン・ピエール・ジュネの美的センスには、全くもー敬服していたりする。1994年にパリで半年暮らしたのだが、映画の舞台となったモンマルトル辺りはウチからは遠かったので、住んでる時はそんなに訪れなかったが、日本からguestが来る度に案内したり、友達とわざわざご飯を食べに行ったり、ロンドンに住んでいる時も、パリを訪れたら必ず小旅行気分で足を運んだり、そう言えば、ハネムーンの時も妻とうろついたりしたくらい、(誰もが)お気に入りの場所だ。その当時はまだ「アメリ」自体が作られていないから、モンマルトルにあるごく普通のグロッサリー「コリニョン」だって素通りだし、アメリが働くカフェ「ドゥ・ムーラン」でコーヒー飲んだ事も無い。この作品を観る度、猛烈にパリに行きくなるから、機会があったら是非行ってみたい。
そして、今日のお題はモンマルトルではない。アメリがバスルームで見つけた宝箱の持ち主の手がかりを得るために訪れた、フランス北西部、ブルターニュ地方の町モルレー(Morlaix, Bretagne)についてだ。大西洋に面したこのリアス式海岸を持つ、小さな港町を有名にしたのは、イギリスを追われたケルト人たちと、他ならぬこの水道橋だ。この町で最も高い建物と思われる教会の尖塔よりさらに巨大な石造りの建造物は、スケール的にも尋常ではない。映画ではこの橋の袂に暮らす老夫婦宅を、アメリが訪ねる設定であった。人生でこの町に特別縁はなかったのだが、なぜだか突然縁が出来た。シシリー島生まれで現サルディーニャ島在住のイタリア人のdearフレンドGeryが、この水道橋の町に7月に移り、B&B(ベッド&ブレックファースト=朝食付きの小宿)をオープンするから是非遊びに来てとの事なのだ。移ろうなんて話しに至った経緯や、町との由縁等まったく情報はないけど、とにかく急にフランスの片田舎に知り合い(それも、気心の知れた)が出来て嬉しい。今年は忙しくてそれどころじゃないけれど、落ち着いたらブロン牡蠣とクレープでも名高いこの地を、妻とお子と共に訪れてみたいな。

1月16日(金)

ココ最近、隙間猫たちはどうしているかと言うと、寒さにもめげず、4匹揃って元気に駆け回っている。れっきとした野良猫の割に、毛並みも血色も良い理由は、朝夕、隙間の向いの魚屋のおっちゃん魚の残りを、右隣の焼き鳥屋のおっちゃんが鳥を、同じマンションの8階に住むおばちゃんが猫まんまを、そして4階に住むヒゲのおっちゃん(自分)が、気紛れに牛乳とか残り物を提供しているからに他ならない。とにかく潤っているように思えるが、野良猫の場合、このように複数の人間から面倒見られるかどうかはサバイバルの観点でとても重要な鍵となる。何故ならば、人間と言う物は意外と身勝手な物で、やれ店が休みだ、帰省だ、法事だ、旅行だ、病気だと、理由をつけて誰もが隙間に餌を運ばない可能性があり得るから。このように保険をかけておけば、猫たちも飢える心配ないので、よしよし賢いぞオマエらよ。
今日は、ニューヨーク時代に仲の良かったお友だちと久し振り話した。彼女も妊娠5ヵ月で、積もり積もった四方山話に花を咲かせたのだが、久し振りに英語を話したので、単語が出てこなくて困った。ニューヨーカーの彼女は、まだまだバリバリとファッション業界で働いているのだが、旦那さんが通勤中にとにかく転ばないように気をつけてくれと、無茶苦茶心配するので笑ってしまうのよと言っていたが、そりゃそうだ。今、ニューヨークには、この50年で一番と言われる大寒波が居座り、どこもかしこもガチガチに凍り付いてツルッツルなんだそうだ…そりゃ心配するよ。とにかく共に、無事猿年生まれの丈夫なお子をデリバーしましょ。Take care!

1月15日(木)

今日は休みだったので、どうしても今じゃなければ買い物出来ないとアピールする妻の買い物に付合う。付合うと言いつつも、妻は臨月間近の妊婦だから無理はさせられないので、実際は送り迎え+付き添い+荷物持ちで、なんだかタレントさんのマネージャーみたいな気分だ。訪れたのは池袋駅東口のキンカ堂。言わずと知れた有名「生地・手芸材料」扱い店で、主婦を中心に大人気。他にもファッションデザインを志す若者やら、手芸が趣味らしい外国人の姿もチラホラ見かけるが、男の人はあんまりいない場所。まぁ最初の30分くらいは、見慣れぬ材料をキョロキョロ見たり手に取ったりして楽しめるが、元々その世界に具体的に興味がある訳じゃないので、やっぱり飽きてしまう。妻は、30分で買い物は終わると断言していたが、結局は1時間経っても終わらなかった。激混みの池袋駅前パーキングメーターの空きをやっとの思いで探し当て、駐車したBMWが気になる。そう言えばさっきレッカー移動してたな…と言う訳で、結局車に先に戻り(旦那衆的行動)、妊婦を待つ事20分、携帯が鳴って無事ご帰還となった。
そして、その頃我が家ではこのように、猫兄弟が我らの帰りを待っていた。これは、正しくは、毎日夜7時半頃に帰宅する自分を、猫兄弟が待ち構える図なのだが、これ実は、ヒロシ帰る→すぐごはん→何かもらえるというパブロフの犬的行動らしい。でも、見た感じはこのように待っていてくれたように思えるので、嬉しいよキミたち、例えそうじゃなくてもね。

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1998       9 10 11 12 1999 1 2 3 4前 4後 5前 5後 6前 7前 7後 8前 8後 9前 9後 10前 10後 11前 11後 12前 12後 2000 1前 1後 2前 2後 3前 3後 4前 4後 5前 5後 6後 7前 7後 8前 8後 9前 9後 10前 10後 11前 11後 12前 12後 2001 1後 2前 2後 3前 3後 4前 4後 5前 5後 6前 6後 7前 7後 8前 8後 9前 9後 10前 10後 11前 11後 12前 12後 2002 1前 1後 2前 2後 3前 3後 4前 4後 5前 5後 6前 6後 7前 8前 8後 9前 9後 10前 10後 11前 11後 12前 12後 2003 1前 1後 2前 2中 2後 3前 3後 4前 4後 5前 5後 6前 6後 7前 7後 8前 8後 9前 9後 10前 10後 11前 11後 12前 12後 2004 1前 猫兄弟のすべて データブック(日本語)  Data Book(English) ヨーロッパ旅行記 ●●● 5/29〜6/15/2000 パリ パリ食べ物 ボルドー ベルジュラック バルセロナ ミラノ/ローマ/地中海… サルディーニャ Email me!  Nyahoo! JAPAN Kimagure Tenshi ● my Profile ● my Homepages promotion .. HandMade ● back HOME TSample Gallery 2003/10/8/hanks all