1月31日(金)

痛々しくて、ここには画像を掲載できないので、代わりにその辺の元気そうな野良猫画像を貼付けておくが、ゴメンよコイちん、皮膚を切っちまった。それは昨晩の話、あまりにもラスタ化してしまったコイをブラッシングするのを断念し、ファファのようにショートカットにするしかないと、おもむろに1時間ほどチョキチョキしていた時のこと、だいたい切り終わってバランスを調整していたら、どうも前足の毛が長過ぎる気がしたので、コタツの上に乗っけてさらに切った。チョキチョキ、そしてジョキと、わずかだがハサミに濁音の混じった感触が伝わって来てハッと見れば、ちょっとではあるが毛と一緒に皮膚を切り取ってしまっていた…。血が吹き出るようなものではなかったが、確実にそのエリアの毛皮はなくなって、10円ハゲのような状態になっている。こんなことは前代未聞だ。過去にも気付かぬウチに切ってしまったことはあったが、目の前で明らかにやってしまったのは初めてで、愛しいものを自らの不注意で傷つけてしまったことで、深く自責の念を抱き、その後はもう使い物にならないくらい何だか落ち込んだ。すべてのペルシャ猫がそうなのかは知らないが、ウチの猫兄弟は痛みに対して泣き声等で異変を知らせない自己主張が控えめなタイプなので、何も変わらずごく普通に、むしろ動きやすくなったからかより活発におなりになっていた。しかし、右前足には確実に白い丸が…ああああああ。救急箱からマキロン(ケンエーシロチン)を取り出し、患部にあて、さらにワセリンを塗付しておいた。心の底からゴメンなさい…。

1月30日(木)

今日も寒々しい日本列島だが、ニューヨークあたりの寒波に比べれば、まだまだ生易しいはずだ。思い起こせば、この時期の外出には手袋、帽子、マフラー、そして耳あてなどが必需品だったが、日本ではまぁなくてもやっていける。しかし、何度も言うが、日本家屋の寒さは半端でなく、築30年のウチなんてそこかしこから隙間風がヒューヒュー吹き込み、いやいや見事なもの。あちらの暮らしでは、布団に入ってはく息が「白い」なんてことは絶対にあり得なかったのだが、日本ではごくあたりまえなのが恐ろしい。うーん、中途半端に暖めるのが日本のやり方なので、セントラルヒーティングシステムに慣れ切っている海外帰りの我々にはどうも辛い。中途半端なのは部屋だけじゃなくて山手線などのヒートシーティングシステムも微妙だ。いやねー(痔持ちの人には何よりだし)とっても居心地いいんだけど、中途半端に温かいから何だか妙に眠くなっちゃうんだよね。ニューヨークは Love & Hate で何かと両極端だったけど、日本は逆に何もかも曖昧で、そうつまり今や死語だが、ファジーな冬の暮らしぶりなのだった。
さて、ようやく急激多忙な日々も一段落し、1週間ぶりにまともな時間にこのページを更新できている。背後ではコイがキャラメルコーンのような形になって、そのためにあげられない布団の上で気持ち良さそうに眠り、時たま思い出したようにマイ蕎麦殻枕にパシッパシッとパンチを見舞っている(意味不明)。一方リビングの日溜まりではファファが1本残ったボーリングのピンのように直立不動で佇んでいるので、思わずムラムラとスペアを取りたくなる、ちょっとヘンテコな Thursday Morning and Happy B.D.! my sis.

1月29日(水)

あああ寒い! 今日も出掛けたが、我慢できないほどの肌寒さにあっさりギブして戻って来てしまった。うーん、もしかしなくても、風邪の引き始めようだ、これはヤバイかも。
さて、いつの間にかキャットストリートが正式名称になっている裏原宿の通りは、キデイランドとシェイキーズの間から始まって、明治通りのポール・スミスあたりまでうねうね続く歩行者専用の遊歩道である。なぜここがキャットストリートと呼ばれているかというと、たぶん、いや何をどう考えても猫が多いからに違いない。歩いていると、本当にそこかしこに野良猫とおぼしき影がチラホラ見隠れする。キジトラ、ミケ、ぶち、白、黒、ヨリドリミドリ。ごちゃごちゃ入り組んだ路地、交通量の少なさなどから猫には絶好のロケーションである。で、この寒さの中、ショートヘア種(のしかも尻尾が短いタイプ)だというのに表にチョコンと座っていたりして、どいつもこいつもたくましく見えるのだこれが。まぁコイ&ファファとの生活になれているからそう感じるのは仕方ないが、きっと近隣住民の手厚い保護のおかげもあって、都会の猫オアシスとして堂々と根付いているのは喜ばしい事。暖かくなったら一度猫兄弟を連れて散歩でもしてみたいなぁ。

1月28日(火)

一転ポカポカ陽気だった火曜日だが、まだ緊急仕事は続いていて、一日中外(主に原宿)に出っぱなしだ。ゆっくり飯食うヒマもないほど忙しないし、外にいっぱなしだと身体は芯まで冷えるし、もういい加減部屋にもどりたーいが、これはきっと明日まで続く(うーん)
ところで、10年ぶりの原宿は驚く事ばかり。参宮橋とか代々木で車中心の生活をしていた頃は、よくこの街へ来たものだ。理由は車が駐車しやすいからに他ならない。当時土日は歩行者天国(ホコ天ですか)だったので、車の乗り入れはできなかったが、ウイークデイなんか夕方過ぎると余裕でスペースが見つかったものだ。だから、そのあたりの飯屋なんかもよく利用した。でも、それから10年、よく行った小さなあの店その店この店、みーんなピカピカのビルの飲み込まれたか、押しつぶされたかで発見できず。これは実に寂しい。竹下通りと明治通り交差点の四川料理「龍の子」なんかは、逆に改装されて高級な佇まいになっていたり、あああの日々が懐かしい。
そして、原宿はいつの間にか、すっかりお子さまな街になってしまったので少々複雑。昔はエリア毎に住み分けがされていて、お子は竹下通り、ロック系は神宮橋、普通の人は明治通り、ちょっと大人は表参道、イラン人は代々木公園に、サーファーは渋谷に行って下さいなんて具合だった。でもね、あの裏通りがキャットストリートなんて呼ばれる今となっては、どこもかしこもうじゃうじゃだ。ああ、37才には適切な居場所が見つからないね!

1月27日(月)

そしていつの間にか週が明けてしまい、まだまだ緊急の仕事は続いている。朝早くから出掛けて日が暮れてから戻る…一般的にはそれがあたりまえなのだろうが、自分にとっては久し振りなのだ、こういう行動は。で、猫兄弟にとってもこの状況はきっと久し振りで、僅か5日目ではあるが少々戸惑いが見て取れる(ただしコイのみ)。夕方ガチャガチャと鍵を開けてドアをオープンすると兄弟揃って「どこ行ってたんだよ、オマエー!」みたいな顔で三つ指ついてお出迎えしてくれるので嬉しい。寝癖のついた毛並み、ぼけぼけの顔つきからすると、留守中、コイはコタツの中で、ファファは寝室兼仕事部屋の椅子の上で丸くなっているか、画像のようにコタツの敷き布団の段差に身を寄せるようにして安定していると推測される。まぁね、たまにはいいんじゃないの。
さて、昨夜はこのページの上部にもバナーが張付けてある「キノミキノママ」を主催している、youme.さん企画の集まりに顔を出した。17年ぶりくらいに降り立ったのは、小田急線の祖師谷大蔵駅。学生時代に友だちが住んでいたので何度か来た事はあるが、それ以降全く縁がなく右も左も見た事ない状態。日曜夜だと言うのに、多くの人が集まって会は盛り上がりを見せたと思う。内容についてはまた後日レポートする。現在タイはバンコック在住の彼女との出合いは、遡る事6年前のニューヨーク、ブルックリンで一緒にアメリカ人向けの日本語学校をやろうと目論んだりしたものだ。その名残りはマイHPのホームページサンプルのLJBにあるので、興味のある方は見てみて下さい。

1月25日(土)

みなさま御心配をおかけしました。ようやく戻りました(いやぁ実はまだ戻り切れていないのが本音なんだけど…)。この更新できない日々、いったいどうしていたかと言うと、思い起こせばこの画像、そう荒川遊園で昔懐かしいトコトコ歩行犬に、大人はまたがらないで下さいとの注意書きを無視して、得意げにまたがってパチッとやった時から事件は始まったのかもしれない。
この直後、このワンちゃん、仮にヒゲッチとしておくが、とにかくこの異常に黄色い変な乗り物はヒゲmeを背中に乗っけたまま、隅田川に向けて暴走をしたのです。もうそれはそれは凄まじいスピードで、防波堤目掛けてまっしぐら…これには近くで見ていた妻も呆然となり、どうして隅田川沿いなのに荒川遊園というのかなんて疑問をすっかり忘れて後を追ったらしい。ヒゲッチはそのままドブンと川に飛び込み、東京湾に向かって泳ぎだしたのだ。
そして、それから3日の間、いやぁもう大変な目にあったあった。

うそ。本当はフリーランスの辛い所で、急に仕事が入り、しかも物凄い急ぎの仕事で、朝から晩まで外に出っぱなし状態に陥ってしまった。これ、少なくとも火曜日までは続きそうなので、それまでしばらくは更新が滞ることが予測される。なもので、気長に待ってやって下さいまし。何とか元気にやっています、あ、もう寝なきゃ…good night guys...ZZZzzz...

1月22日(水)

「ちょっとまて 誰が処理する 犬のふん」。足立区はシュールだ。ふん処理注意喚起看板の上に鳩が思い切りふんをしているのも気になる。画風は思いきり日曜夜6時的だが、こんな犬がいたら実際恐い。いや、恐いどころかここまでのことができるのなら、トイレで用を足してもらおうかキミ。ちなみにこれには女の子のバージョンもあって、スカートの裾を引っ張られた姿は同じくらいシュール。マンガチックなのにうんこのシェイプがやけにリアルな所に足立区担当者の意気込みが伝わってくるではないか。
経験者ならわかるだろうが、実際、犬の散歩中に例のものを処理するというのは複雑な感情が伴う行為である。ニューヨーク等はいちおう法律で愛犬の糞を飼い主が処理しなければ最高400ドルなんて罰金が科せられるから、少なくともマンハッタンの110丁目以南の人は、ほとんどの場合新聞紙かプラスチックバッグを持参して出掛ける(それ以外の貧乏地区の住人は教育が行き届いていないからか、路上には犬のふんが散乱。これゴミ全般に関してそうである)。ブリブリするのを待って、生暖かいまま手掴かみする人が多い。これは慣れであって、最初はぬ…と思ってもそのうちごく普通の日常生活の一こまになってしまうから不思議なものだ。それにしても人間の手というのは、優秀で便利な代物である。よく考えればやってることは変なんだけどね。
さて先日は、ロンドンから戻ったともだちAM+プエルトリ子が毬花ビール(何度聞いてもマリファナと聞こえてしまう)と美味しいみつ豆を土産に参上。ホストとしては自慢のパーティー料理をということで、がんばって3種類の餃子を詰め詰め。合挽き肉をオイスターソース風味のスタンダードな餡、豚挽肉はシソを刻みさらに包む時に大葉で敷くといういかにも美味そうな餡、ブラックタイガーは1センチ角切りにして、ニラと白葱と卵白等をあっさり練り合わせた餡にした。焼き目をつけたら蒸して仕上げにごま油でカリカリに…うーん、やっぱり餃子は手作りの焼き立てに限るねー。ちょっと、いやかなり食い過ぎたかもしれないが、楽しい夜だった。

1月21日(火)

都電荒川線の三ノ輪橋行きに乗り、飛鳥山とか王子駅を経由し15分ほどゴトゴト揺られると「荒川遊園前」という駅に到着する。ここで降りると大正11年に誕生した由緒?あるアミューズメントパークに行く事ができるのだが…わざわざ行こうと思う人がいったいどれだけいるのか定かではない。なにせ隅田川沿いに展開する小さな小さなスペースに、いちおう観覧車にメリードーランド、どうぶつ広場に釣り堀などがギュウギュウに詰め込まれているはいるが、はっきり言ってかなりショボイ。でもそのショボさがとても素敵だ。なんでまた荒川区の西尾久の、辺りにゃ何もない住宅街のどまん中に位置するのか首を捻りたくなるが、うーん、世の中にはまだまだ不思議なことがたくさんあるんだね。
160円払って入園しどうぶつ広場とやらに行ってみると、そこには画像の動物たちの外にもうさぎ、モルモット、ヤギ、羊、日本ザル、きれいな小鳥、孔雀、オウム、カンガルー、ミーアキャットがいた。でも…檻が小さくてどいつもこいつも窮屈そうで見ていてちょっとお気の毒。我々馬鹿夫婦のこの日一番のお気に入りは、珍しくもホルスタインのももちゃん。なんでかと言うと、牛のクセ、とっても愛嬌があってしかもフレンドリー。呼ぶと近くにやってきて、巨大な頭をスリスリしたりベロベロなめたり、かと思ったら踵を返してブリブリうんこしたりで訳わからん。いろんな意味でとってもエンタテインしてくれていいヤツだった。とにかくちょっと気分転換したい方には都電を含めおススメなので、ぜひホームページをチェック荒川遊園オフィシャルサイト

1月20日(月)

ブルーブルーマンデイ♪ けっこう最悪な1日だった。ケチのつき始めは、日曜の昼のイギリス人にあった。年末年始の長期休暇を終えて日本に戻ったイギリス人編集者から、02年末に提出済みの原稿のリバイズ(改定)願いがあって、英語でいろいろやり取りした。で原稿は日本語で書かなければならないので、急遽頭を切り替えて取り組んだのだが、間が空いているモノゴトだけに「入る」までなかなかきっかけがつかめず、部屋の中をウロウロ歩き回る羽目に。あたりまえだが歩いているだけでは原稿は進まない。頑張ってモニタに向かい、昔の資料を引っぱりだしてうんうん唸るが、どうも調子が上がらない。で、日曜はいろいろ用事があって進まず、結局月曜の午前中にけっこう進んだので、午後ゆっくり何度かレビューして「これでいいだろう」とメールしようとしたら、今度は日本人編集者から電話があり、何だかわからないけれど一方的にいろいろ言われ、ちょっと壊れ復帰するまで時間が掛かる。そんな中、夕食の買い出しに行ったのだが、頭の中では編集とのやりとりが走馬灯のように反芻され、結果集中できず買い忘れが多数起こる。夕食の材料は中途半端にしか揃わない。
部屋に戻って、明日我が家にやって来るロンドン在住のともだちのために、きんぴらごぼうを作るが、牛蒡を洗ったり千切りにしている間に、また編集から電話があり、原稿を見直したりする。そうこうしていたら妻が帰って来てしまい、結局夕食のおかずがないというヘンテコな事態になり、仕方なく階下のオリジン弁当まで買いに行った。もうそれだけで十分ブルーだ。ああなんだかまとまりなくつかめない日だった。

1月19日(日)

タバコを止めて早いもので8年(妻は1年)。それ以前は1日1箱のペースで(およそ12年ほど)吸い続けていたから、肺が完全にクリーンになるにはまだまだ時間が必要だろう。タバコをやめて本当に良かったと思えるのは、日本に戻って異常なまでにタバコ臭い空間に足を踏み入れた瞬間だ。パチンコ屋、カラオケボックス、タクシー、居酒屋、喫煙車、日本のそれはもう本当に異常な世界である。こんなに空気の悪い場所にいたら簡単に癌になると直感的に思う。今でもほとんどの場所に灰皿が用意されているし、オフィスでもタバコを吸えたりする。値上げされたと言っても1箱280円程度で欧米諸国の約1/3の値段で買えるから、うーん、この国で禁煙するのはなかなか難しそうだ。
自分の場合、アメリカのしかもニューヨークに住んでいたから、そんなに苦労しなくても止められたのかもしれない。オフィスビルや公共スペース、レストランはほとんど禁煙だし、タバコ自体がべらぼうに高い。今のように税金が上がる前でも1箱600円くらいはした。でも止めた理由をよくよく考えてみると、欧米でタバコを売りづらくなった企業がアジア人をだまくらかして、自社製品を売りつけようとしている様がバレバレだったからというのもある。アジア人はもともと麻薬に弱い民族だ(阿片窟がいい例ではないか)。現実的に日本人はいいように搾取され続けているわけで、それに気付く頃には多くの人がニコチン中毒になっているから、堂々回りという構造(よくできている)。とにかくマルボロライトとか好んで吸うアナタ、一度でいいからちょっと冷静に考えてみましょうね。

1月17日(金)

昨年東京に戻って、電車に乗る機会が極端に増え、最初の頃は何だか慣れなくて戸惑った。それもそのはず日本を離れる以前の1987年から94年くらいまでは、どこへ行くにも車での移動があたりまえだったから、よく考えたら山手線の混雑ぶりとか、乗り換えの煩雑さとか、池袋駅地下道の異常な動線とか、ちゃんとは知らなかった。まぁ分刻みで運行している日本の電車生活も計画的に移動できるので悪くないけど、行動範囲や制約のなさを考えると、車生活の方が魅力的だ。なもので、近いウチ車を手に入れようと思う…が、世の中そんなに簡単ではない。
どうせ5〜15年落ちの中古車しか買えないから、たぶんちょっと気合いで働けば購入資金は何とかなる。維持費に関しても、駐車場なんてバブルの頃1ヵ月5万円取られていたのと比べれば半分で見つかる。それに最近の車はあまり派手な壊れ方はしないし、燃費も向上しているから随分安くなったはず。問題はただ1つ、選択の余地がたくさんあり過ぎて悩むということで、これは言ってみれば贅沢な悩みだ。そう…10年前に高値の華で買えなかったドリームカーたちが、手ごろな値段で売られているので困ってしまうのだ。
ちなみにこれまでの車人生の中で最も愛したのは、画像のランチアベータクーペだ。それは82年式のイタリア車だった(しかもオートマ、色はランチアブルー)。もともとのデザインはピニンファリーナ、その後名門ザガット社の手によって、実にセクシーで流麗なボディラインに仕上げられた。ああなんてカッコイイんだ! 内装もランチア社らしく上質でセンス抜群。エンジンなんて機関ではなくまるで生き物みたいで、お喋りだったかと思えば押し黙ったり、そうかと思えば急にはしゃいだりぐずったりで情緒不安定。当然よく壊れた。走行中にタイミングベルトがぶち切れたり、オルタネーターが働かず電装系がすべていかれたり、今考えればとんでもない車だった。頻繁に入退院を繰り返していたけど、このじゃじゃ馬に乗るのはことの外楽しかった…。で、今となってはランチアはフィアットに吸収され昔の面影はないが、どうせ乗るならやっぱりクセのある面白い車がいいなぁ(きっとつづく)

1月16日(木)

画像は後楽園で見かけた最近人気の地を這うタイプのドギーバルーン。首輪を引っ張ればフワフワとくっついて来るバーチャル散歩もの。群れているとちょっと無気味だが、いいなぁ…子供の時にこんなもの売ってたら、きっと激しくせがんだに違いない。手を放しても飛んでいかないから親にとっても余計な心配しなくて済むのはいいが、こんなもの部屋に持ち込まれたらやっぱり邪魔臭さそうだ。
ところで、短髪に鼻顎鬚面というのは、とっても業界人に見えるからか芸能人からガンを飛ばされやすいのを御存じだろうか(ん仲間?知ってる人?なんて感じで)、先日練り歩いた世田谷の目黒通りと環八の交差点近くの路上で、そう言えば浅野忠信と擦れ違ったのを思い出した。バブルの前の前、デビューする前のCHARAが六本木のクラブで歌っているのを何度か見たことがあったので、ここでつながったわけだ(自分の中でね…)。思い起こせば浅野姓セレブとは変な縁がある。浅野ゆう子とはTBSの近くで2度、浅野温子なんて山手通りの辺鄙な場所で3度ほど擦れ違ったことがある(キッと睨まれ恐かった)。よく考えれば浅野温子の旦那でコピーライターのU氏とはよく仕事をしていたので、全く知らない間柄ではなかったが、この姓の方とは絶対に距離の縮まらない、ただ通り過ぎるだけの関係性であることは確かだ。小学校のクラスの浅野さんとはしゃべったことがたぶんなかった。中学の時もクラスに浅野君がいたが、地主の息子はおぼっちゃまで何だか縁がなかったし、高校時代同じ野球部でピッチャーだった浅野君とは自分が1年で退部して以来付き合いがない。なんだかね。

1月15日(水)

現在WOWOWで放映中のドラマ「セックス・アンド・ザ・シティ」は、本国アメリカでは数々の賞を受賞した超有名シリーズで、地上波よりも過激な描写が可能なケーブルTVのHBOで放映され大人気となった。それもそのはず、ニューヨークを舞台としたドラマは数あれど、このプロダクションは実にディープでリアルでクオリティが高い。基本的にレギュラー陣、たまに顔を出すゲスト、または実在セレブや一般人などのキャスティングが的確なので、この手のドラマにありがちな「人工的」見え方はせず、どこまでもで「生」っぽいので好感が持てるのだ。
白人女性4人の世界観を主軸に展開するドラマではあるが、実際は人種に関係なく「ニューヨーカー」の話しだ。また、題名はセックス云々となっているが、決してそれだけじゃなくて、あくまでもニューヨークという街だからこそあり得る某をふんだんに取り入れた局地的人間ドラマである。だから、各エピソードは住んだことのある者にとって「すぐそこの通りで日々展開されている」ような身近なストーリーであることが多く、まるで関口宏的に「あるあるある」となる。また住んだことのない者にとっては「あり得ない」からこそ逆に面白かったり、出演者のファッションや実名で登場するレストランやバーなどに憧れたり、観光資料として役立てたり、30代の自立した強い女の生き方を学んだり、と楽しみ方もいろいろ(に違いない)
著書にも書いたが、ニューヨークって常にあらゆる場所で結果を顧みない真新しい実験が行われているような街だから、人間性の露呈しやすい環境がそこかしこに潜在している。ちょっと油断すると誰かの思惑に簡単に取り入れられたり翻弄されたりして、結果「とんでもない」話が起こりうる確率が高い構図となる。レンタルビデオ屋にも置いてあるので、どうか騙されたと思って一度観て下さいまし。

.
..

 

生年月日 西暦 性 

運命がどうしても気になっちゃう〜五行推命運勢鑑定〜で遊べる今年の猫兄弟。数字は半角で入力してください。

COPY RIGHT (C) 2002 HIROSHI TOKUI ALL RIGHTS RESERVED.

 

これよりまえをよむ

 

1998       9 10 11 12 1999 1 2 3 4前 4後 5前 5後 6前 7前 7後 8前 8後 9前 9後 10前 10後 11前 11後 12前 12後 2000 1前 1後 2前 2後 3前 3後 4前 4後 5前 5後 6後 7前 7後 8前 8後 9前 9後 10前 10後 11前 11後 12前 12後 2001 1後 2前 2後 3前 3後 4前 4後 5前 5後 6前 6後 7前 7後 8前 8後 9前 9後 10前 10後 11前 11後 12前 12後 2002 1前 1後 2前 2後 3前 3後 4前 4後 5前 5後 6前 6後 7前 8前 8後 9前 9後 10前 10後 11前 11後 12前 12後 2003 1前 猫兄弟のすべて データブック(日本語)  Data Book(English) ヨーロッパ旅行記 ●●● 5/29〜6/15/2000 パリ パリ食べ物 ボルドー ベルジュラック バルセロナ ミラノ/ローマ/地中海… サルディーニャ Email me!  Nyahoo! JAPAN Kimagure Tenshi ● my Profile ● my Homepages promotion .. HandMade ● back HOME Thanks all