after 911 photo & text by Hiroshi Tokui

がんばれニューヨーク! WTC SEP 01  WTC OCT 01
 

10月7日(月)

テロから1年以上がが経過したその後のグラウンド・ゼロ。約3ヵ月振りに訪れた彼の地は、知らないウチに随分と整備が進んでいたので驚いた。ブロードウェイ側などちょっとした博物館のようになっていて、がっちり築かれたフェンスには、WTCの歴史、と言っても大変短いもの、や、スケールモデル、設計図、建設行程、破壊行程などがパネルに大きく引き延ばされて展示されている。どれもがそこにどれだけ大きな建造物があったかを知るためのものであるが、そもそも計れない程の圧倒的なサイズを誇っていた建造物だけに、何だかピンとこない。実際WTCを間近に暮らして来た者にとっても実感が湧かない。みな「ふーむ…」なんて困った感じである。
展示物に関しても被害者的立場からの一方的なものが多いのでいかんせん説得力に欠ける。パネルの前では世界各国からやって来た観光客が思い思いのポーズをとっているが、見ていてとてもバランスが悪い。いったいどういう場所なのかよくわからなくなってしまっている。最近、アメリカという国の「我々は何をされたのか」を示すための徹底されたパフォーマンスやオーガナイズぶりには呆れることが多い。思わず逆はどうなんだ? と問いかけたくなる。たいがいの場合、行き過ぎでやり過ぎだと感じてしまう。とにかく肝心の「穴」はデザインコンペが終わって新しいランドマークが建設されるのを、手持ち無沙汰に待っているといった印象だった。
で、一般的に良いニュースと言えば隣接するファイナンシャルセンターにあるウインターガーデンとサブウェイ1/9ラインの復活。どちらも倒壊によって壊滅的な打撃を受けたが、短期間で修復された。特に英国植物園的ガラスばりのウインターガーデンは真新しくなり、大理石の床なんてこれ以上ないくらいピカピカに磨きあげられていた。ただ一つ棕櫚(シュロ)の木だけは昔の半分以下の高さしかなく、なんとなく寂しい。1年前には屍体がゴロゴロ転がっていたことを考えれば、威信をかけたスピード修復といったところであろうが、やはり植物の成長には然るべき期間が必要なのです。

9月13日(金)

グラウンドゼロには強い風が吹き、2,801人もの犠牲者の名が延々と読みあげられる。同じ日、日本の奄美沖では北朝鮮のものと見られる不審船が引き上げられ、観音開きの船体後部ドア内に上陸用小型艇が収納されていることが確認された。また、パタキニューヨーク州知事が The Gettysburg Address を読み上げた頃、一部のウインドウズユーザーはW32/Chet@MMという911便乗ウイルスの被害にあっていた。マカフィー社やトレンドマイクロ社が警戒を呼び掛ける中、ロンドンでは稲本選手がプレミアシップ初ゴールをあげ、ロサンジェルスでは額に打球を当て緊急手術を受けた石井投手が病院の回りを散歩した。再びグラウンドゼロに目をやると、いくぶん額が禿げ上がったジュリアーニ元市長が、なんだかんだとうまくやっているブルームバーグ現市長や、アナン国連事務総長や、パウエル国防長官らと共に犠牲者の冥福を祈り、小泉首相はムシャラフ大統領と国連で握手をした。さらに、ブッシュ大統領はCBSのインタビューに答えイラクを攻撃するのは確実であることを伺わせた。
同日、日本テレビで放映され視聴率が30%超だったらしい「911カメラは中にいた」だが、アメリカで放映されたのは遡ること半年前。遺族への配慮が足りないとか強烈過ぎるとかで物議をかもした。司会進行役は何を言いたいのかがよくわからない北野武ではなく、言いたいことのハッキリしたin strong connection with New York ロバート・デ・ニーロ。スポンサーの好意によりノーコマーシャルで2時間続きで映画的に放映され、緊張感と集中力を維持したまま観ることができた。これは日本とは大きな違いで、ピッツバーグに墜落した93便の首を傾げたくなる再現ドラマもなかったし、クライマックスが「今日の出来事」で部分的に放映されることもなかった。
作品の大部分を占めているのは紛れもなくフランス人兄弟の秀逸ドキュメンタリーだが、既にかなり当局の意向が反映して編集し直されている。それでもなお想像を遥かに越えたショッキングな音と映像は、観る者の背筋を凍らせる…そこには普通の状態では決して映らない、パニック、カタストロフィー、カオス、人間ドラマの数々がしっかり映り込んでしまっている。ニューヨークで消防署なのに中でモクモクたばこを吸っていたり、最初から最後まで発せられるファッキンランゲージも結構キツイ。これをキー局がプレミアタイムにノーカットで放映したのだから、今考えると凄い英断だった。
日本のみなさまはどのように感じただろうか?

9月11日(水)

あれから1年が経過した。この画像はテロから9日目にブロードウェイから撮影したものだが、怒りと悲しみの炎は収まる気配を見せずインディアンサマーの雨に打たれモクモクと水蒸気をあげ続けていた。その光景は今でも脳裏に焼き付いていて、そんな所へ行ったことはないが、まさに地獄絵図と呼ぶに相応しいものだった。日常生活においては、まだ頻繁に悪夢を見ていた頃で、崩れ落ちた瓦礫の下敷きになったり、無数の人の叫び声が聞こえたり、身体が生のまま焼かれたりして、夜中に冷や汗をびっしょりかいて飛び起きたりしていた。神経過敏になっていたので些細な物音や空気の変化に敏感になって、まるでプレイリードッグが穴から身を起こし鼻をヒクヒクさせて敵を警戒するかのような暮らし振りだったのを思い出す。何せ1ヶ月の間は窓から吹き込んでくる風の中には確実にグラウンドゼロが燃えるイヤな臭いが含まれていて、そのことから逃れる術はなかった。そう言えば、遺書を書いたりもした…引っ掛かるものが何もない壁で爪でも研ぐような気持ちで切々と書き残した…今思えば馬鹿馬鹿しいのだが、それはたぶん動物として本能的な反応で、あの日あの時あの場所にたまたまいた人誰もが感じた危機感だったと思う。
一度は阿鼻叫喚の巷と化したグラウンドゼロは驚くべき努力とスピードで整地され、今日11日は、世界各国の首脳が参列し記念式典が行われる。365日をかけて人々の記憶も大掛かりな重機やミサイルで徐々に均され、一部テロリストは捕まり、あるいは一部は逃走(闘争)し国際指名手配されている。
誰が正義で誰が悪なのかに答えはない。アメリカが正義でアラブ社会が悪なのではない。大事なのはどうしてこういうことが世界で起こっているのかを誰もが考えることだった。大きな目覚ましが鳴って、普段はそういうことに疎い人までもが覚醒する機会を与えられた。しかし1年経過して世界は何かを学んだのだろうか? 人類平等や世界平和を唱える人々の声をしり目に、相変わらずの椅子取りゲームに明け暮れる権力者たちは、ますます世界をアンバランスにしている。たぶん一番変わらなければいけないのはアメリカ自身だ。そんな祈りを込めながら犠牲者たちの冥福を祈ろうと思っている。

9月9日(月)

911からそろそろ1年と言う節目を迎えて、ブッシュ大統領は人気がない。そして世界は決して平和ではない。テロは一掃されてないし、アル・ジャジーラTVはあいかわらず過激である。
結局テロ以来アメリカはグラグラと揺れ続けて、まだまだ完全回復には程遠い…むしろ経済的にあんまり良くない。弾みでどんどん膿が出てきてしまっている状態だ。もともとアメリカは軍事大国であるからして、いつの時代も力にモノを言わせた(ひとりよがりな)政策がとり続けられてきたが、歴代大統領の中でもブッシュ大統領のやり方は目に見えて一方的である。ゴリゴリでブリブリだ。どこかで大規模な戦争を繰り広げなければ強いアメリカ(=政権支持率)を維持できないという政策の裏には、石油と言うご馳走を巡る複雑怪奇なドラマが見え隠れする。イラク(withフセイン大統領)は基本的に限りなく黒に近い灰色な国に違いないが、それでも雨霰のように無差別にミサイルを打ち込む必要性は誰が見てもない。現にイギリスを除いたヨーロッパ諸国は今回のアメリカの軍事作戦には同調の姿勢を見せていない。ブッシュ大統領の言う「大量破壊兵器がテロリストの手に渡る前に先制攻撃を」の意味さえよくわからない。
日本に戻ってみれば思った以上に根強い反米感情が渦巻いているのを感じるが、やはりマスメディアの貧弱さゆえに、普段はどんなに息巻いても肝心の場面になると簡単に長いものに巻かれる(あるいは世界的に蚊屋の外にされる)傾向にある。昔から権力者のプロバガンダに滅法弱いのが日本のメディアの特徴である。
アメリカにブリブリ大統領(と怪しい取り巻き)ある限り、きな臭さはまずます顕著になっていく。世界平和を守るためという名目で、再びミサイルと言う名の砂嵐が中東の大地に吹き荒れ、どす黒い血が流されるのだろうか…。911のセレモニーに向けグラウンドゼロには大きな垂れ幕が吊るされているそうだ。今は日本なので残念ながらその模様を目にすることはできないけれど、遠く離れても I left my heart in NY. 今でもがんばれニューヨークに変わりはない。

6月26日(水)

このまま何も起こらないといったい誰が断言できよう。昨年の同時多発テロ以来世界はいつでも危機に瀕している。特にアメリカ本土はアル・カーイダなどの次の標的となるべきプロパティがいくらでも存在しているので、それこそ攻撃しようと思ったら簡単にできるのだろう。違いはいかに周到に準備して、いつどれくらいの規模でそれを起こすかにある。なにかと遅ればせながらの日本外務省も海外渡航者及び在住邦人に対して次のような注意喚起を呼びかけているほど。最近の傾向としては、どこが危ないと特定するのは不可能なので、「いつ」が危なそうなのかを呼びかける場合が多い。今に始まったコトじゃないが、独立記念日には犯罪が起きやすい。街のそこかしこに火薬のいっぱい詰まった花火がセットされ、日も暮れると全米でヒューパチパチパチとなる。人も大勢集まり、お祭り気分で注意力も散漫になるし、普段のしかるべき警備が手薄になるのは言うまでもない。独立記念日は来週の木曜日…もし無事に乗り切っても、次はおそらく9/11、その次がハロウィーン…危険日は次々とやってくる。
最近人と会う度話すのは、ブッシュ政権になっていかにロクなことがないかで、一般市民レベルでも十分「住みづらさ」を感じるようになった。実際ニューヨークではランドマークタワーが突然消滅し、それに伴い経済や公共交通などにも影響が出たりしたが、最たる変化はやはり精神的圧迫感である。継続してこの地に住んでいるから言えるのだが、ニューヨークは変わった。それは決して911を機にしたものではなく、一昨年のフロリダの投票集計疑惑あたりから「目に見えて」始まっている。クリントン政権時代、怪しいことは密室(特に机の下)で行われたので、我々市民は想像逞しくゴシップするのが常だったが、今は違う…本来暗闇に潜んでいるべき怪しい虫たちが一斉に漆黒の洞穴から這い出してきてやりたい放題やっている、或いはやりたい放題やらせている、そんな感じがするのだ。

6月19日(水)

グラウンド・ゼロ近影。右手のビルと重なって分かりづらいかも知れないが、地表に十字架の形で突き刺さっていた鉄骨がモニュメントとして(工事現場にしか見えない)サイトに設置され、観光客が集まる新しい名所となっている。これはブロードウェイから1本入ったセンチュリー21のすぐ向かい辺りから撮影したものだが、わざわざプラットフォームに列を作って登らなくても、十分中の様子がわかるようになっている。もうそろそろ撤収作業は完全に終了し、あとはWTCと同じように燃え尽き症候群(含むPTSD)にかかった人々(主に復旧作業に従事していた者)だけが残される構図だ。
相変わらず「○×△が怪しい…」といった話が飛び交っているが、現在は市がWTCサイトのすぐ南にあるビルの補修作業を行わせないことについてが議論の的になったいる。現在も巨大なアメリカンフラッグをくくりつけられ黒いネットを被された件のビル(4/4参照)だが、ネットの隙間からところどころWTC鉄骨が突き刺さっている様も見られる。なぜか一般作業員はビルへの立ち入りが禁止されている状態で、これについては憶測の域を出ないので掘り下げることはやめるが、アルカーイダやタリバンも含め、何にしてもしっくりこないことが多い昨今の穴事情である。

5月9日(木)

画像は、マンハッタンの南端バッテリーパークの入口付近に設置された、以前より思い切り有名になってしまった sphere のモニュメント。この球、テロ発生以前はWTCノースとサウスタワーの間に存在していた広場にあったものだ。ひん曲がったり折れ曲がったり穴が開いたりはしたが、全損を何とか免れて、原爆ドームのような種類のトラジックシンボルとしてテロの記憶を生々しく伝える目的で移送されてきた。今ではグラウンド・ゼロを含めた巡礼(?)のシンボルとして位置づけられている。痛々しいモニュメントの周りには訪れた観光客の寄せ書きとか花束なんかが飾られ、そのまわりでぷくぷく太ったリスが追いかけっこをしている。
グラウンド・ゼロは着々と整地が進み本当にただの工事現場にしか見えない。ゴールデンウィーク中だったこともあって現場ではカメラを構える多くの日本人観光客らが、だだっ広い工事現場をフレームに収めようと四苦八苦している姿が目に付いたが、そんなものを撮影して後で現像してもたぶんピンとこないのではないだろうか…そこにはきっと角のバーガーキングの店員の態度が酷かったことや、ボーダースの2階のエスカレーター付近で売っていた廉価本のことなんて写らないだろうし、そもそも人間の記憶なんていい加減なもので、実際タワーがなくなってみれば、そこを確かに知っていた者でさえも具体的なランドスケープが思い出せなかったりする。あまりにも短期間で風景が変わってしまったことに加え、あっけらかんと開いた穴の周辺はただただ漠然としているだけで、訪れた人々は懸命に過去の記憶を遡り Before & Afterの比較対照を探そうとするが、確かなものが何もつかめないのが現状ではないだろうか。スケールの存在しない世界に人々の戸惑いばかりが堆く積み上がり、それはいつしか天空高くそびえ立つ。球はそこで何が起こったのかはおしえてくれるけど、何が在ったのかまではおしえてくれない。


真実は穴のみが知っている。

4月28日(日)

そもそも911事件についてはあまりにも予測不能な出来事が突拍子もなく立て続けに起こったため、誰もが目の前に煙幕でも焚かれたような状態に陥ってしまった。真相と言うものは煙に巻かれてしまった以上憶測の域を出ないので、重要なのはその後のファクトの寄せ集めとなるはずだ。911前後からずっとニューヨークに暮らしている自分としては、新聞などのメディアは事件後確実に統制されていると感じたので「書かれていたこと」はハッキリ当てにならない。でも写真には統制を逃れたファクトがついつい映り込んでいたりするから面白い。あの日から7カ月。グラウンド・ゼロの瓦礫は尋常じゃないスピードで撤去され(それを怪しいという人も多い=証拠隠滅)、今では大きな穴がポッカリと口を開けている。そして晴れた煙の向こう側にいる世界中のファクト集めを生業とする人たちから「何か変だぞ」という声が前以上に聞こえ始めた。正しくは、声は事件直後から変わらず発せられているから、要は一般のレベルまで到達するほどの量と形になってきたということだと思う。
一番わかりやすく告発されているのはWTCよりもむしろペンタゴンに墜落した航空機についてで、これは簡潔に言うと「そんなものは存在しない」になるのだが、根拠として並べれたファクト(主に公的に発表された写真)を公平に検証すると、確かに「不自然」というのが結論だ。実は自分も煙に巻かれていたその日、ペンタゴンの墜落現場映像を最初に見て不審に思ったのだが、もし本当にあの大きなジャンボジェット機が突っ込んでいたら、あの壁にはもっと大きな穴が開いて然るべきだし、機体の残骸が周囲に散乱していないのはどう考えてもおかしい。最初のニュース映像ではペンタゴン外壁の1階部分に小さな穴が開いて燃えているだけだったし、地面がえぐれているわけでもなく、どう見ても内部からの爆発のように思えてならない。
内部爆発についてはWTCについても言えることで、航空機が衝突したのは紛れもない事実だが、同時にまたはそれより前にタワーの内部で複数の爆発が起こっていたのも事実。サウスタワーにユナイテッド機が突っ込む直前の写真をよくよく見ると既にサウスタワーの内部から煙が上がっているのがわかる…まだ衝突していないのに…だ。そう言えば衝突直後のノースタワーにフランスのドキュメンタリークルーが駆けつけた映像にも、ロビーに散乱する瓦礫が多く映っていた。アメリカン機が突っ込んだのは100階付近だから、この瓦礫を説明する手だてはない。現に衝突前に複数階で内部爆発があったという証言が多数あるそうだ。誰がいったい何のために?
憶測は星の数ほどある。怪しいと思える人や組織をつなぎ合わせて陰謀説を作るのは簡単だ(定説=疑うのは信じるよりも容易い)。でも、どんなに頑張ってもやっぱり想像や憶測の域を出ない…それは「エルビス・プレスリーは生きている」とか「アポロは本当に月に着陸したのか?」と一緒にされてしまうからだ。そもそもこういうことをたくさん書くとサイト自体が抹消されてしまうからほどほどにしなければ…今や個人のサイトまでウォッチングされる時代だし…5?[<2H0。


何とも重苦しい空気に包まれた穴周辺

穴を見るためのプラットホーム

4月4日(木)

春になって久しぶりにグラウンド・ゼロに足を運んだ。今ではほとんどの瓦礫の山は撤去され、もしあの事件がなければこれから何かを建築するためのサイトのようにしか見えなくなってきている。地下7階分の深い穴も徐々にならされ、周辺道路なんかもほとんど開通した。しかしながら…かなりの急ピッチで瓦礫が撤去された今も重苦しい空気だけは根強く居残っている。これはたぶん永遠に撤去することのできない種類のもので、ブロードウェイ側に設置された「穴」を見るためのプラットホームに多くの観光客が群がって記念写真を撮ったりしているが、やっぱり不謹慎というか見ていて居心地が悪い。一瞬にして何千人もの人がなくなったサウスタワーに隣接するセンチュリー21(アウトレット)でブランド物を買い漁る観光客の姿も見られるようになった。そのコントラストはとてつもなく異常にうつる。惨劇と復興…誰が正常で誰が異常なのかは知らないが、周辺には今でも密度の濃い液体のような空気=スライムとか葛切りみたいなものが流れているから、自分などはそこにいるだけで背筋がぞっとするし、できればあまり近づきたくないと思ってしまう。複雑な心境だ。

最近はアメリカでさへビンラディン情報が少なくなり、テロを起こした張本人とされる人物の生死についての情報は交錯している。これはたぶん全世界的な傾向で誰か(情報機関のようなもの?)が意図的にそうしているとしか思えないし、実際そうなんだろう。きっと秘密裏に「何とかかんとか作戦」のようなものが進行していて、そのうちある洞窟から誰かが発見されましたとか、拘束されましたとか、そんな風に我々の耳にも漏れ伝わってくるのかもしれない。いずれにせよほんとうのところどうなっているのか想像の域を出ない。
先週まで1年2カ月ぶりに東京に戻っていたのだが、普通に生活する限りテロの痕跡を発見するのは難しい。大きめの書店などにいけば「911」コーナーのようなものが設けられていて、そこには政治的な種類の書物と写真集が多く平積みにされている。しかしそういうコーナーは着実に規模縮小されているようで、日本ではやれ誰それさんの秘書が何だかで、こうなったら誰も彼もが議員辞職よ〜んみたいな「ゲーム」が相変わらず繰り広げられているだけだ。そのようなワイドショウ的な社会に身を置いていると、遠く離れたニューヨークの「穴」のことなんてどうでもよくなってくるし、実際日本からだと遠すぎて深すぎて見ることも感じることも困難である。でも、こうやって戻ってみれば「穴」は今でも確実にメッセージを送り続けていて、自分にとってそれは「アンバランス世の中」に対する警鐘なんだなと感じることができる。
今日も復旧作業は続けられている。


あの日の朝、ぼくが最初に見たのは
真横にたなびくどす黒い煙の帯だった


あの日の朝、次に見たのが
パックリと開いた穴だった。

3月11日(月)

あれから半年が経過した。よく晴れた火曜日の朝8時46分。9月11日2001年ニューヨーク、マンハッタン、1ワールドトレードセンターノースタワー。AA11便が96階〜102階に突っ込んだその瞬間から早いもので半年が経過したのだ。今朝もあの日の朝と同じようにスカッと晴れている。テレビではブルームバーグ市長、パタキ知事、ジュリアーニ前市長らが参列した追悼式典の模様を放映している。たった今46分にWTCの方向に向かって黙祷を捧げたところだ。そしてサウスタワー87階〜93階にUA175便が激突した9時3分になり再び黙祷を捧げた。
昨夜はCBSでロバート・デ・ニーロをホストに「911」と題された2時間のドキュメンタリーが放映された。半年の時を経て、初めて公共に公開された生々しい911当日のWTC1内部映像の数々。ビルの上階から人間が落下し地上に叩き付けられる衝撃音…タワーが倒壊する際の地響き、突然の暗闇、信じられない量の粉塵、消防士たちの勇敢さ、恐怖、戸惑い…疲弊、悲嘆、パニック…どれもこれもがショッキングでリアルでそして昨日のことのようだった。このドキュメンタリーを制作したフランス人の兄弟は、911を遡ること3カ月前からたまたまファイナンシャルディストリクトにある「ラダー7エンジン1ファイヤーデパートメント」の取材を開始していた。彼等の当初の目的はあくまでも消防士たちの日々の生活を淡々と記録することだったに違いないが、あの日あの朝、まったく予期せぬトラジェディに遭遇し貴重な歴史を記録することになる。世界中の人が観たであろう映像…一番最初にノースタワーにAA11便が突っ込む瞬間を撮影した唯一の映像も彼等によって撮影されていた。
ニューヨークに住む人の数だけ異なる種類の「911」体験がある。近くにいた人、遠くにいた人、テレビで観ていた人とさまざまだ。でも、共通して言えるのは、あれから半年が経過したけれど、人々の心の傷は決して癒されていないということだ。今でもふとした拍子に数々の記憶(主に混沌とした想いの塊が)生々しく蘇り、その瞬間身の回りの空気が凍り付くのを感じる。タルコフスキーの「Mirror」の1シーンのように急激に気圧が下がって突風が吹き抜けるような感覚。そして「なぜああいうことが起こったのか」を理解しようと試みるが、答えなんてものはどこにもないような気がしてならない。アラブ世界を批判する人がいれば、アメリカを毛嫌いする人もいる。陰謀だという人もいれば、必然だという人もいる。世界事情は今日も昔と変わらず混沌とし、アフガニスタンでは今でも爆弾が投下されている。WTCがあった場所にはタワーの代わりに大きな穴がポッカリと開き、今日からしばらくの間、光のモニュメントが灯される。もしかするとぼくが死ぬまで「答え」は得られないのかもしれないけれど、心の目を開いて世界で起こっていることを理解しようと試みることが重要だと、この半年の節目に思っている。God bless you.

11月6日(火)

気がつけばあれから8週間が経過し、ニューヨークには木枯らしがピーピュー吹いている。炭疽菌テロの脅威は相変わらずだが、それにも段々慣れてきた感がある。「ああ、炭疽菌ね…」てな具合である。市民レベルの日常生活はほとんど以前と同じレベルに戻ったと言っていい。学生はあたりまえのように学校に通い、社会人は朝から晩まで忙しくしている。タクシーのクランクションは騒がしいし、通りを歩くニューヨーカーは誰も信号を守らない。そして、ホームレスはいつものように冬に備えて厚着をし、アベニューBにある教会のボランティア配膳の前に長い列を作っている。壊滅的な打撃を受けたウォールストリート界隈も、混乱しながらも持ち直し、夕方トレーダーの引ける時間には以前のような大混雑ぶりを見ることができる。周囲の不安を和らげるために、あるいは愛国心を煽るためにNYSEの正面に掲げられた巨大星条旗と周囲のコントラストも見事なものだ。
今日は「次の」ニューヨークを知る上で重要なエレクションデイ。思えばあの日は市長選の予備選挙投票日だった。が、当然それは延期され、後日「それどころじゃない」雰囲気の中で行われてみれば今までにない低投票率。多くの人が「政治」から興味を失ってしまった。その後もジュリアーニが任期延長を要請したり、民主党は民主党で決選投票が行われたり、いろいろあって、ようやく共和党がマイク・ブルームバーグ、民主党がマーク・グリーンという、決め手にかける両候補者が勝ち残り、2週間前ほどからテレビでは恒例のネガティブ・キャンペーンも流され、湯水のようにお金を使った激しい選挙戦が始まった。ウチにも冗談ではなくブルームバーグから、元市長のエド・コッチから直接電話がかかって来て「ウチの候補者をよろしくね」なんて言っている。「おれは外国人だから選挙権がねーっつうの」と言っても、録音されたコッチだけにこっちの声なんか聞いちゃいない。今日は今日で受話器を上げるといきなり「ハイ、ディスイズ ビル・クリントン」と来た。録音されたものだと分かっていても、いきなり最初に元大統領の声が聞こえると「ドキッ」とする。要は民主党のマークをよろしくねということなのだが、投票日になってもこういうキャンペーンが続行される念の入れようだ。現在夕刻5時。まだ結果は出ていないが…個人的な予想(と願望)では超僅差でマーク・グリーン氏。Welcome Back to NY デモクラッツ(民主党)となるかどうか見物だ。


この頁の著作権はすべて徳井寛に帰属します。記事、画像等の無断転載を禁じます。(C)2001-2006 Hiroshi Tokui All rights Reserved.

Back to HOME

これより前を読む